深夜の読書で(しか)自由を味わえ(ない)
「家で雑につくるサッポロ一番とかのラーメンが好きで、
よそのおうちの”家ラーメン”の味がめちゃくちゃ気になるので
友だちに頼み込んで作ってもらう」
みたいな、着眼点と筆力が命のエピソードがずらりと並んでいる本で、
でも着眼点も筆力もすごく良すぎて
帯では岸正彦さんが「これぞ生活史」と絶賛している、そんな本。
とにかく表題作の「深夜バスに100回くらい乗ってわかったこと」を読むだに
大学生くらいのときには確かに手にしていた、(そしていまは見る影もない)
「私の自由」を強烈に意識することになった。
恨み言でもなんでもなく、
かわいい嬢と坊を育てることとトレードオフで
いったん放棄している自由がただただまぶしい。
誰の機嫌も体調も気にすることなく、
自分の身一つでふらっと長距離を移動するようなことって、
これからの私の人生に本当にもう一度訪れるんだろうか。
その時には、今のこのかわいい嬢と坊のことを思い出して、
ちょっと寂しくなったりするんだろうか。
深夜、子どもがやっと寝た後、一瞬迷ってからもそもそと起き出し、
今日はしょうがを刻んで砂糖で煮て、ジンジャーシロップを作り、
お湯割りでチビチビやりながら(咳き込むくらい辛い)(本当はお酒飲みたい)
このまぶしい自由の本をパラパラめくったのでした。
わたしの自由はほんとうにささやかで限られたものだけれど、
この深夜の読書タイムが昼間のご機嫌な母さんをしっかり支えている。
いつか私も2000円で東京に行って、
朝の光をまぶしく感じながら背中バキバキで夜行バスから降り、
まっさらな一日を自由に過ごすのだ。