垂乳根日誌

読んだり書いたり育てたり。自分のための記録ですが、よければどうぞ。

我が家とコロナと春の散歩

村井理子さんの『兄の終い』を読む。

 

兄の終い

兄の終い

  • 作者:村井 理子
  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

翻訳者の村井さんのお兄さんが亡くなったときの実話。

実話も実話で、昨年秋に起こったほやほやの実話。

村井さんの理知的だけれど情感豊かというか、ロジカルだけれどユーモラスというか、その思考と語り口が好きで手に取った。

 

実の兄の死というとてもプライベートな内容を書籍にすることについて、そしてそういうことを金儲けのタネにして、としばしば批判されることについて、「書いた理由は書きたいからでそれ以外ない」と言い切ってらしたのがとてもとても素敵。確かtwitterでお見掛けしたのだったか。

素人でも、何かエモいことが起こったときなんかは「あぁこの気持ちを忘れないように書き残したいなぁ」と感じるんだもの。プロの衝動はそれは激しいものでしょうね。

 

そして新型コロナ。

昨年秋に0歳坊が生まれてすぐに熱を出して入院したため(いろいろと検査をした結果、たぶんただの風邪だった)、インフルエンザはじめあらゆる菌とウイルスを恐れて引きこもり気味だったこの冬。よって、外出自粛もまずまずその延長で、それほどインパクトなし。この4月は職場復帰を見送って、育休継続中なので余計に。

 

ただ、4歳嬢も保育園を休んで家にいることが多く、4歳と0歳のまったくシンクロしない欲求に朝から晩まで答え続けねばならないことにはほとほと疲弊する。とても難しい時期の嬢とハチャメチャにぶつかりながら毎日暮らしている。ぶつかりすぎてわけがわからなくなって、朝令暮改を乱発し、全然だめ。

どうやら緊急事態宣言が出そうとあって、保育園もいよいよ腰を据えて自粛せねばなるまい。子どもと一緒に遊ぶのがそもそもあまり上手じゃないけれど、嬢が楽しく暮らすことが自分のQOLを爆上げすることでもあるので、ちょっと真面目に考えなければ。

 

自宅保育が煮詰まると(誤用だがまさにドロドロに煮詰まるのだ)、山裾のほうへ散歩に出かける。春爛漫の日、桜があちこちで満開で、菜の花も群れ咲いて、川のせせらぎなんかも聞こえて、人通りはほとんどなくものすごく静か。年にそう何度もない絶好の散歩日和だ。休みの夫と手を繋いだ嬢がリズミカルに歩くうしろを、坊のぬくもりと寝息を抱いて追いかけていると、コロナの蔓延なんてどこか遠い世界の話のよう。この世の中の喧騒と、コロナと嬢に翻弄される自分と、春を凝縮して一番美しい上澄みだけを掬い取ったような静かな散歩を、わたしも書き残したいと思ったのだ。